学校の名前 
私がインターンシップ活動をしていた小学校は、名前を「ジミー・ヒコック・イリハクビック」(JIMMY HIKOK ILIHAKVIK)と言います。イリハクビックは現地の言葉で「学校」を意味し、ジミー・ヒコックは個人の名前です。つまり「山田太郎小学校」みたいなものです。

ジミーさんはこの村に実在したおじいさんであり、そしてこの学校は公立でした。日本で公立学校に個人名がつくというのは聞いたことがありません。私立でもフルネームは聞いたことがありません。きっとジミーさんは村一番尊敬された人だったに違いない。狩りの名手だったとか、何かあるに違いない。そう私は想像しました。

ある日学校で、他の先生に名前の由来を聞いてみました。なぜジミーさんの名前なの?そしたら、数人の候補者の中から投票で選ばれたというではありませんか。みんなに選ばれたというからには、きっと偉大な人だったのでしょうね、と言ったら、うーん、と困った顔。じゃ、この人は何者?と質問したら、カヤック(船)を作るのが上手だった、という答え。それで一目置かれて選ばれたのか〜と納得したら、また困った顔。じゃ、なんでこの人なの?と問い詰めると、別に・・・ということでした。結局、明確な理由はないらしいのです。大して理由もないのに、なぜみんなジミーさんに投票したのか、いまだに私の中では謎なのです。

ジミー・ヒコック小学校
ジミー・ヒコック小学校




七夕
学校で七夕の紹介をしました。・・・・の前にしようと計画を立てました。笹の木なんて手に入れるのは難しいから、笹はテキトーに本の挿絵でも見せて、校庭に植えてある木にでも短冊を・・・と考えるのが普通のパターン。しかし私は大きな壁にぶつかってしまいました。

ここはツンドラ地帯。笹の木どころか「木」が一本も生えていません。子供達の多くは本物の木を見たことさえありません。「日本文化の紹介」以前の問題なのです。木の説明から始めなければならないなんて、気が遠くなりそう・・・。

木がない・・・
木がない・・・

考えた末、1.5m×2mほどの巨大な笹の木の貼り絵を作り、それを黒板に貼って見せました。笹の木の型は保管しておき、他のクラスを回るたびに同じ貼り絵の木を作っては持って行きました。紙の木はとても見やすくて美しいと好評で、私は気を良くして子供達に笹の木について話し、自作の七夕の紙芝居も見せました。次に短冊を配りました。そしてその短冊に願い事を書き、それを紙の木の枝の上に貼ってもらいました。

しかし、みんなの願い事を見てのけぞってしまいました。MONEY(お金)の一言だけ。具体的に金額を書いている子もかなりいました。確かにこの村は貧しいし、子供達がお金やモノを欲しがるのも不思議ではないかも知れません。悲しいのは、金額が20ドルだったりしてささやかなのです。遠慮しなくていいんだよ、と子供に言うと、慌ててその子は200ドルに書き直しました。まだ安い。でもこの子にしたら大金でしょう。この村の経済水準が表れているようで私の心の中は複雑でした。そのお金で何を買うの?と尋ねてみると、「ジャンクフードをたくさん買う」というので、またまたひっくり返ってしまいました。

そんな私の心とは裏腹に、七夕の紹介はどのクラスでも大盛況のうちに終了しました。一応喜んでもらえたし、この土地ならではの苦労をした甲斐があったのかな・・・と自分を慰めはしたものの、外からの圧力で無理やり貨幣経済に巻き込まれたイヌイット社会の現実を見せられ、一人悲しくなってしまいました。それでも子供達が七夕を思い出してくれれば・・・と、紙芝居を学校の図書館に寄付したのでした。今でも誰か見てくれてるかなー、紙芝居。




料理
私は料理が苦手でしたが、かねてより学校からの強い希望で日本料理の紹介をすることになっていました。しかし、日本的な観点から見るとヒジョーにお行儀の悪いこの村の子供達が、黙って私に従って料理をするとは思えません。じゃ、試食してもらおう!と思ったけど、手の込んだものは作れないし、家庭科室のような広いキッチンスペースもないので、みそ汁とおにぎりだけ作りました。今から思うとこれが間違いだったかも・・・。

お米は5キロ日本から送ってもらっていたので、カナダのお米と少し違うことを味わってもらい、具やトッピングを何種類か用意して自分で握ってもらうことにしました。用意したのはカツオ節に醤油をかけたものと、塩、ふりかけ、味海苔など。あとは鮭もたらこも梅干も手に入りませんでした。

みそ汁の具には、どんなに評判が悪かろうとも絶対みんなが食べたことのないワカメを入れたいと思いました。しかし現地ではワカメと一緒に入れる豆腐が手に入りません。かと言って、野菜だと店で売っている種類がほんの少しに限られ、具になりそうな物がありません。トマトじゃ無理だし、じゃがいもはキロ単位でしか売ってないし。それに値段が高すぎます。学校の活動であまりお金をかけるのは良くありません。かといって、私が持参してきた物のうち、他に入れられそうなものはお餅しかないのです。餅入りみそ汁なんてアヤシイ。う〜悩む。だけど、私の置かれている環境は難なく食材が手に入るバンクーバーやトロントみたいな都会とは200%違うのだ!私は苦渋の決断をしました。

当日は、誤解を招かないようにちゃんと説明をしました。普通は入れないんだけどお餅は特別に・・・なんて言ってみたけど、みんな食べ物の奪い合いで全然聞いてません。アヤシイみそ汁はおいしいと評判です。そして、みそは醤油と同じ味がするのだそうな。おにぎりは、握り方講習をしたことはしたけど、イヌイット感覚では食べられるのなら形はどうでも良いようです。子供達は海苔を気味悪がり、ふりかけもちょこっとつまんだだけで、あとはご飯に塩をかけて手づかみでワシワシと立ち食いしています。彼らは「日本料理の試食」というよりも、取りあえず食べていいと言われので食べたようでした。こんなことなら、おにぎりは全部始めから握っておけばよかったと後悔。実はこの村には問題が多く、ロクに食べさせてもらえない子供が結構いたのです。みんなお腹をすかしていたんだな〜と後になって分かったけれど、その時はみんなの食べっぷりにビックリ仰天でした。

それにしても、もうちょっと担任の先生が子供達の制止に入ってくれても良かったのにと思うのですが、実はその先生が誰よりも一心不乱に食べていたのでした。ちなみにこの先生はイヌイットではなくヨーロッパ系カナダ人です。




サイエンス・フェア
サイエンス・フェアというのは理科の自由研究の発表会みたいなもので、カナダの他の町でも授業でやっていると思います。・・・思いますが、ここは北極圏、他とはワケが違います。

当日は体育館に各グループのブースを作り、先生や保護者達がぞろぞろと見学にやって来ます。子供達はそこでせっせと自分達の発表をします。それは実験だったり、星の動きを模型で説明するものだったり、いかにも理科という感じです。イヌイットらしいものは、伝統的な毛皮の衣服と合成繊維で出来た現代の衣服との比較。「毛皮の方が防寒に優れている」、と子供達が誇らしげに毛皮の勝利を宣言するのです。なるほど。

そして理科と言えば生物関係も欠かせません。昆虫、昆虫・・・と体育館中を探して回るのですが見当たりません。そうでした、ここは極寒の地。虫なんているわけないのです。いるのは春先から出没するハエと夏の巨大な蚊くらいなものです。そういえば植物観察のブースもありません。ここには雑草とベリーの実くらいしかないもんなあ、なんて思っていると、異様な光景が目に入ってきました。何だそのおびただしい数の透明の入れ物は・・・?

うっひゃー!ホルマリン浸けの昆虫!一瞬にしてチキン肌になりながらも勇気を出し、「これなーに?」と聞いてみると、わざわざ学校がこのサイエンス・フェアのためにレンタルしてきたのだそうな。普段お目にかかれない本物の虫を見られるとあって、たくさんの子供達が興奮気味にそこに集まり、それはもう大変な盛り上がりを見せています。みんな目をサンサンと輝かせて、食い入るように動かない昆虫を見つめているのです。

別にホルマリン浸けが珍しいわけではありません。しかしそれが、もうすでに絶滅してしまった貴重な昆虫だとしたら、ホルマリンの中の動かない物体を見て「へぇー」と思うことでしょう。しかし今回私が目にしているのは、セミ、バッタ、カマキリ、蝶・・・といった、私にとっては珍しくも何ともない昆虫ばかりなのです。動いていない状態がとても不自然で、そいつらはどうしても溺死した虫の死骸にしか見えません。しかもセミなんて結構デカい。心の底から気持ちわりぃ〜と思っているのに、金縛りにかかったようにそこから目が離せないのは一体なぜなんでしょう。

この他にもホルマリン浸けの物体があったような気が・・・。そしてそれはだったような気が・・・。しかし私は反射的に自分の視界をシャットアウトしたため、それ以上はハッキリと目撃していません。今思い出しても、うっひゃーーー!気持ちわりぃーーーーー!!




他のインターンと情報交換 

普通インターンというものは、同じ時期に出発した者同士、不安もたくさん抱えているので当然のごとく仲良しになります。それは私のグループも同じこと。違うのは、私を除いた他のインターンの人々はみんな、フツーに南部に派遣されているということだけ。EメールやFAX、あるいは普通の郵便もあることだし、色々と授業のやり方やネタなどで情報交換もしたくなります。思い切って他のインターンのステイ先に電話をかける人もいます。今思えばそれは、色々日本語でおしゃべりしながら、つたない英語での生活のストレスを発散しようとしていたか、あるいはホームシックを紛らわせるための電話だったかも知れません。とにかく、みんな同じ派遣国(カナダ)のインターンとしてグループができ上がっていきます。しかし私は自分のことに必死だったので、ごく親しくなった友達を除いて、あまりみんなに興味はありませんでした。毎日寒い中「生きていく」のに本当に必死だったのです。ヘタすりゃ凍死までいかなくても凍傷はありえたし。

ある時、「みんなでどこかで落ち合って会いませんか?」というお誘いをもらいました。そこで情報交換をしようというのです。かなりのインターンがカナダ西側(ブリティッシュ・コロンビア州、アルバータ州)に固まって派遣されていました。まれにサスカチュワン州、残りはオンタリオ州、といった具合で、東部もあまりいなかったような気がします。

さて私はどうしたかというと、当然行けるわけがありません。そんなもの、カナダの国土の広さを考えたら恐ろしいアイデアです。バスのある人達は移動費も安く上がっていいでしょう。しかし、私の唯一の移動手段は「飛行機」なのです。それも北極圏で寡占状態の航空会社のみ。そんな軽々しく村を往復すれば、金額的には日本に帰れてしまうでしょう。

「残念ながら・・・」と返事はしました。でも、実はそんなに残念とは思っていませんでした。私は環境があまりに他と違っていたので、他の人から近況報告を聞いても参考にはならないと思ったし、何より北極でカルチャーショックを毎日受けまくって興奮していたので、他の世界はどうでも良かったのでした。

それにしても、インターンの同期のみんなは最後まで私の真の居場所を把握することはなかったなあ・・・。(笑)